北風ブログー749
2023/5/26更新
春ー2
私、堺に住んでおります。堺は古い港町で、例の宣教師フランシスコ・ザビエルが堺に来たのが1550年です。フランシスコ・ザビエルは1549年に鹿児島に上陸し、付近で布教をし、平戸へ移りました。その後1550年10月、キリスト教を大きく広めるため、京の都の帝に布教許可を得ようと平戸を出発し京への道中、山口を経て堺に上陸したのです。この時に堺港があったのですが、その時の海岸線は、ザビエル公園の中を通っているようで今の海岸線よりかなり内陸側にあったようです。天然の良港で海外貿易港として発展した堺港は、遣明使を中国に送り、中国と貿易もしていたのです。
私、実は神戸出身で、神戸市民は港とはとても親和性が高いのです。小学校や中学校の写生大会では、神戸港に行くか、王子動物園、もしくは六甲山・摩耶山に遠足かたがた出かけておりました。高校の卒業アルバムでは神戸港に出かけて数人で写真をとりそれをアルバムに載せていただきました。仲間がみんななんとなく神戸港で写真を撮ろうということになったのです。神戸港は横浜港と肩を並べて二大貿易港として知られていますし、神戸港は日本の主要な国際貿易港(五大港)の一つで、スーパー中枢港湾の指定を大阪港と共に受けています。
これに対して堺港は天然の良港として知られ、海外貿易港として発展してきました。が、江戸時代の大和川の付け替えによりその港の機能が衰退しました。その後、江戸の商人吉川俵右衛門などの働きで、1810年に築港・修理された港が現在の堺旧港の原型ですが、昔の勢いはなくなってしましました。大浜に木造洋式灯台が建てられたのが1877年です。1868年には、堺県ができており、そのあと堺県は大阪府に合併され、港は堺港ではなく大阪港がその中心となってしましました。
近世に入り、堺港はその近隣の大浜公園を中心に水族館・公会堂・潮湯・料亭・海水浴・大魚夜市などアーバンリゾート地として賑わいましたが、台風、戦災、昭和32年からの臨海工業地帯造成により、港としての機能が求められなくなってしまいました。そこが、神戸港と圧倒的に違うところです。神戸は阪神工業地帯には入っていますが、工業は尼崎が中心で、神戸の中の工業地帯はどちらかというと神戸港より西の地区で発達してきたのです。神戸港は阪神工業地帯の工業製品の出口として栄えたわけです。
先日その大浜公園に行ってきました。写真1,2にありますように、藤棚に藤の花が満開でした。でも、その下には2組のカップルと一人の浮浪者がいるだけで寂しい限りでした。この近くに、1877年にできた日本最古の木造洋式灯台である国指定史跡の旧堺燈台があるとのことで港のほうに歩いていきました。写真3がその灯台ですが、その灯台の後ろに巨大な壁画がありました。ちょうどフランシスコ・ザビエルが書かれていました。でも、観光客は一人もおらず、ザビエルも少し悲しげでしたね。さらに歩くと、お台場など史跡の碑は数多く残っており、平成12年に復元建設された龍女神像もありましたが、周りには誰もいませんでした。春なのに「春宵一刻値千金」ではなく。「夏草や 兵どもが夢の跡」がぴったりの堺港でした。
今、神戸は観光でも売り出していますが、ぜひ、堺も頑張ってほしいものだと思います。「頑張れ、堺市長! 選挙も頑張れ!」と思います。でも、実は私、堺市民ではなく、堺市の境にある光明台に住んでいる和泉市民なので、残念ながら堺市長選挙への投票権はありません。