北風ブログー750
2023/6/2更新
春ー3
いよいよ春も終わりです。梅雨入りも間近です。春というと、私、芭蕉の俳句を思い出します。「行く春を近江の人と惜しみけり」私の好きな春の俳句です。
最初この俳句を見た時に、なぜ近江の人かと思いました。でも、近江というと琵琵琶湖を思い浮かべ、春の琵琶湖というと、なんとなく湖上に「もや」がかかった景色、まったりとしたのんびりとした景色が頭の中に出てきます。それと芭蕉の旅行好きを考えるとこの俳句のすばらしさが理解できます。
実は、向井去来の「去来抄」にこの俳句の解釈が書かれています。先師曰く、「尚白が難に『近江は丹波にも、行く春は行く歳にも振るべし。』といへり。汝、いかが聞きはべるや。」 去来曰く、「尚白が難当たらず。湖水朦朧として春を惜しむにたよりあるべし。ことに今日の上にはべる。」と申す。先師曰く、「しかり。古人もこの国に春を愛すること、をさをさ都に劣らざるものを。」
去来曰く、「この一言、心に徹す。行く歳近江にゐたまはば、いかでかこの感ましまさむ。行く春丹波にいまさば、もとよりこの情浮かぶまじ。風光の人を感動せしむること、真なるかな。」と申す。先師いはく、「去来、汝はともに風雅を語るべきものなり。」と、ことさらに悦びたまひけり。これ、文語で少しわかりにくいのでこれをくだんのチャットGTPに入れてみました。
先師が言うには、「尚白がこの歌を非難して『(句の中の)近江は丹波にでも、行く春は行く歳にでも入れ替えることができる。』と言った。あなたは(この句を聞いて)どのように考えますか。」去来が言うには、「尚白の非難は当たっていない。湖の水が暗くおぼろげでいて、春を惜しむよりどころとなるのにふさわしい。特に(私は琵琶湖のそばにいて)現在実感をしております。」と申し上げる。先師が言うには、「その通りだ。昔の人がこの国で春を愛することに、少しも都と劣らないのだがなぁ。」去来が言うには、「この(芭蕉の)一言は心にしみとおる。年の暮れに近江にいなさるのならば、どうしてこの感動がおありになりましょうか。(いや、年の暮れに近江にいたら、この感動はないでしょう)過ぎ行く春に丹波にいらっしゃれば、最初からこの感情が浮かぶはずがない。自然の美しい景色が人を感動させることは、真実であるなぁ。」と申し上げる。先師が言うには、「去来、おまえは(私と)一緒に詩歌を語るに適する人である。」と、とりわけ喜びなさるなぁ。
春ももう終わりです。これからギラギラした夏が来ますが、その前に梅雨が来ます。梅雨の松尾芭蕉の俳句は「五月雨を 集めて早し 最上川」ですね。
ちなみに芭蕉の俳句の中で私の一番好きな俳句は「枯枝に 烏のとまりけり 秋の暮」です。これは、カラスと枯れ枝のあちらとこちらで深淵なあの世とこの世の境目があるのです。この俳句はまた秋になったタイミングでお話しできればと思います。