北風ブログー762
2023/8/25更新
病気―6
私の病気シリーズに戻ります。私、1~2歳のころ、右手の甲の根元のあたりをやけどしました。専門的には橈骨突起と尺骨突起の間のあたりで、縦1.5cmで横2.5cmぐらいの大きさです。私自身は全く覚えていないのですが、私の家の隣に住んでいたおばさんの家に遊びに行ったときに、やかんのお湯がかかったそうです。かなりのやけど(2度の熱傷)でしたので、すこしケロイド状になりました。ちょうどサロンパスを張ったような小さなやけどの跡になっていました。今は日焼けしているので、少しやけどの跡がわかりにくくなっているのですが、その目で見るとわかります。さすがに大人になってからは他人からそれを指摘されることはないのですが、子どものころはからかわれたものです。
私の両親は「それはね、子どもは右と左がわかりにくいので、神様が印をつけてくれいるのだよ。その印がついているのが右なんだよ」と言っていました。私は当然それを信じておりましたので、右と左を自分のやけどの跡で確認しておりました。幼稚園の先生が、「左を向きなさい」と命令したら、私はとっさにその印のない手の方向に向きました。普通の子どもは、『お箸を持つ方が右、茶碗を持つ方が左』と教えられることが多いので、左右の判断を頭の中でするのですが、私は神様がつけてくれた印を自分の目で確認して、左と右を認識しておりました。
ところが、気が付いたのです。私のような神様の印のついた子どもはもちろん大人も一人もいないことを。おかしい、みんなは左と右のわかる印がついていない。そのことを母親にいうと、「うん、神様は選んで印をつけているから、そんじょそこらの子どもにはつけていないのよ。選ばれた子どもにしかつけていないのだよ」とのこと。そうか、私は選ばれた人間なのか、と思ったものです。なつかしい“銀の匙”ですかね。
ところがこの左と右の“銀の匙”が、後々大きな禍根を残すのです。それが「左右失認」「左右盲」です。左右盲になると車の運転時や道案内時に左右が判断できない、「C」の文字を使う視力検査でどちらが空いている側か答えられなくなる、スポーツなどで監督などの指示を受けてもとっさに動けなくなるなどの問題が発生します。左右盲であると言葉での「ひだり・みぎ」だけでなく「さゆう」や、矢印での「←→」、記号での「◀▶」「▶◀」「㊨」「㊧」などもとっさに判断できないことが有ります。記号での判断が難しいとエレベータの「開く(◀▶)」「閉める(▶◀)」ボタンの表記でも混乱してしまうことがあります。
ワシントン大学の自己診断テストがあります。まず、図の指がさしている方向を声に出して言います。その時間を図ります。
ついで、次の図の指がさしている方向を声に出して言ってその時間を計ります。
左右を言う図で時間がかかりすぎる方は、左右盲の恐れがあります。