北風ブログー792
2024/3/22更新
病気―34
病気―34
このTさん、女性ですが身長は160cmぐらいですが、とても細身で体重は38kgぐらいだそうです。人間一人の血液量は体重の13分の1ですので、Tさんの体内には3Lぐらいの血液が、ぐるぐる回っているわけです。一般に1分間に全血液が一度は心臓から拍出されますから、このTさんは、心臓は1分間に3Lの血液を押し出せばいいのでそれほど負担ではありません。運動すれば、3~5倍ぐらいの血液を心臓は拍出しなくてはいけませんが、Tさんはそれほど活発に運動するタイプではないので、あまり心拍出を必要としません。とすると、大動脈弁狭窄症があったとしても、特に大きな症状が出てこないのです。車がたくさん走る高速道路で3車線が1車線になると大渋滞になりますが、車があまり走らない夜間は1車線でも渋滞は起こりませんよね。それと同じです。
ところが「大動脈弁狭窄症は、症状が出始めると増悪の進展が早くて数カ月以内に緊急入院してそのまま死亡ということが多い」というのも医者の中では常識です。大動脈弁は左心室と大動脈の高圧系の間にある弁ですので、すこしの圧力のアンバランスで事故が起こりやすいことはご理解できると思います。新幹線が事故を起こしたのと、チンチン電車が事故を起こしたのとは規模が違いますし、新幹線はハイテクで、チンチン電車はローテクで安全を担保するわけですよね。
チンチン電車に相当する僧帽弁狭窄症は、症状が出てきても新幹線の大動脈弁狭窄症と異なり、その進展は遅くて数年間でじわじわと進展していくことが知られています。これは、僧帽弁が低圧系の左心房と高圧系の左心室の間にあるので、少し症状がでてきても状態の進展が遅いのですよね。肺動脈弁や三尖弁は、低圧系の肺動脈と左心室、左心房と左心室の間にあるので、さらに症状も出にくいですし、その進展も遅いのです。
この大動脈・左心室圧較差70mmHgのTさんですが、お話ししたように画家です。あるとき、院長室で私が仕事をしていると、誰かがノックします。出てみるとTさんでした。Tさん曰く「先生の院長室に飾ってもらおうと思い、私の好きな絵を2枚持ってきましたよ」
私が「ありがとうございます。でもTさんこんな重い絵を誰にもってきていただいたのですか? その方も院長室にお入りください」と言いますと、「いえいえ、私一人で来ました。少ししんどかったですが、大丈夫ですよ。ぜひ、この絵を先生の院長室に飾っておいてください」大きな包みを田舎のおばあさんのように背中に大きな荷物をせたらって(せたらうとは「背負う」の大阪弁だそうです)私の病院にやってきたのです。車の運転をされないので、ご自宅の苦楽園から私の病院まで1時間30分ぐらいかけて、JR、地下鉄、南海電車を乗り継いで来られたです。
「患者さんから物をもらえませんので、レンタルで飾らしておいてください。でもしんどくなかったのですか?」
「いえいえ、大丈夫ですよ。先生、私、本当に大動脈弁狭窄症ですか? そうだとしても、大したことないのとちがいますか?」私曰く、「いえいえ、重症ですよ」という、これまでの外来にかわされていた会話をまた繰り返すのみでした。
ところがこのTさん、ある日、泣きながら私のところに電話してこられたのです。