北風ブログー810
2024/7/26更新
病気―48
それ以降、私はMさんから毎回診察時に、お弁当の差し入れを受けることになりました。それは握り寿司のときもありますし、巻き寿司のときも、ちらし寿司のときもあります。診察後医局の談話室でそのお寿司をいただくのですが、秘書もよくわかったもので、Mさんが外来で来られる日には昼食時に熱くて渋いお茶を入れてくれます。Mさんにしてみると、50歳以上年の離れた孫のような若い医者に弁当を差し入れするおばあちゃんの気分だろうな、とかってに解釈します。ほっこりしたいい時代です。
ところが、「医師が患者さんから金品をいただくということはご法度」と医局では教えられてきました。近頃、謝礼の受け取りを行わないことを明示する病院も多く存在しますし、日本医師会は医療行為に対する報酬や謝礼について、『医師の職業倫理指針[第3版] 』で以下の考えを示しています。
「医師は医療行為に対し、定められた以外の報酬を要求してはならない。また、患者から謝礼を受け取ることは、その見返りとして意識的か否かを問わず何らかの医療上の便宜が図られるのではないかという期待を抱かせ、さらにこれが慣習化すれば結果として医療全体に対する国民の信頼を損なうことになるので、医療人として慎むべきである。」
そしてこの指針にて、謝礼について以下の解説を補足しています。「『謝礼』とは、現金、贈答品を問わず患者に対する医療行為に関係して患者等から授受するものをいう。ただし、患者から感謝の気持ちで医療施設への寄付や研究費としての寄付などの申し出があったときには、所定の手続きをして、これを受け入れることは許される。」
以上のとおり、日本医師会は医師に対して患者さんに謝礼を要求したり、患者さんから謝礼を受領したりすることを控えるよう周知しています。私も、国立の病院に勤務していた時に、「自分の会社をたたんだところ数億円の余剰金がでたので、先生に研究費としていくばくか差し上げたい」と奇特なお申し出がありました。もともとは、「先生の個人的な財布にそのお金を差し上げたい」とのお申し出でしたが、それはありがたく固辞して、病院付属の循環器振興財団に寄付していただいたことがありました。その寄付金は国庫に入りましたが、私が試薬や顕微鏡や冷凍庫など研究のためだけに使える研究資金として役立てさせていただきました。これは医師でも公務員でも許可されています。それは受け取るのが国だからです。阪大病院も委任経理金として寄付金を個人や団体から受け付けることができるので、大学病院が法人として患者さんの謝礼を寄付として受け取ることは可能です。でも、お寿司は国庫に入れられません。国庫に入れている間に腐ってしまいますので、Mさんのお気持ちを鑑みてあえてお返しすることなく私の胃袋に頂戴しました。
これを法律的な側面から見てみますと、医師が公務員という立場を有しているのかどうかで結論が変わります。まず、公務員ではない医師が謝礼を受け取ることは原則として問題ありませんが、職場の就業規則や雇用契約書などで謝礼を受け取ることが禁止されているときは、就業規則に定められている懲戒事由に該当する可能性があり、病院との関係において問題が生じる恐れがあります。次に、医師が公務員の場合ですが、謝礼の受け取りは、刑法上の収賄罪(刑法197条)成立の可能性があります。ただ、過去の裁判例では患者からの謝礼によって刑事事件化したものはないそうです。医師が関係する収賄罪で多く登場するのは「関連病院への医師の派遣」とか、「医療機器の購入などに便宜を図る」といった目的で、医師が病院関係者や企業から金銭を受領したようなケースがほとんどです。昔よくあったのは、若い医師が研究をしてその成果に対して博士号をいただいたときに指導教授にお礼をするという慣習で、これも贈収賄になります。これは、今どこの大学もなくなったと聞いております。
患者さんから金品をいただくのはよくないですが、このMさんの場合は、ありがたく弁当の差し入れをいただいたほうがその後のMさんと私の人間関係とプラセボ効果維持のためによかったのではないかと、今でも思っております。